【院⻑】 尾倉 弘真(おぐら ひろまさ)

 

【職業】ママになる妊活専門家

 

【⽣年⽉⽇】 S52年11⽉1⽇

 

【出⾝地】 奈良県⾹芝市

 

【⾎液型】 B型

 

【性格】

優しくて、ちょっぴり⼈⾒知り。

⽬標に向かって忍耐強く取り組む。

 

【⼼得】

本気で⼈に関わる、好きな⾃分で⽣きる。



奈良県香芝市生まれ、香芝市育ち。県立斑鳩高校(現法隆寺国際高校)を卒業したあと、憧れていた治療家を目指すために1年間鍼灸整骨院で見習いを経験。

 

結婚直後に義母が亡くなり心が不安定になるなか、妊活をするもなかなか授からず、不安や自己嫌悪になる妻を見てきて

「少しでも悩んでいる人の力になりたい」

「不安の中で妊活をしている方の心に寄り添いたい」

という思いから、妊活サポート、整体、食事、心の学びを深める。

 

心に寄り添う妊活サポートで、ご夫婦の人生を応援している・・・

 


私が施術家を志したのは、中学時代の野球での故障がきっかけでした。

 

 

中学時代から肘や肩の故障が多く、数ヶ月ボールが投げられないこともありました。高校時代には打撃の直撃を受け、右手が肩から手首まで内出血したことも・・・。

 

 

この頃に通っていた整骨院が私と施術家をつなぐターニングポイントでした。通っていた整骨院の先生がプロスポーツ選手の施術経験がある先生で、待合室に一緒に取った写真が何枚も飾ってあったんです。

 

 

そして芽生えた気持ちが

「僕も施術を通じてプロ選手をサポートしてみたい!」

 

 

この気持ちを抱いて、施術家という職を意識したのが中学生の頃です。

一般的には高校3年になると進路について悩みますが、私は全く悩みませんでした。なぜなら中学のときに自分の進路は決まっていたからです。

 

 

受験先は鍼灸専門学校、高校3年の冬から知人の紹介で地元香芝にあった杏林会鍼灸整骨院(現在は高田に移転)で修行をスタートさせました。

 

 

この修行先がかなりの人気院で先生、サポートスタッフで15名ほど在籍していて、鍼灸の本場、中国から日本の大学医学部に留学している先生も!

 

 

中国なまりの日本語でいろいろ教えていただきました。毎日たくさんの患者さんが来られ、たくさんの笑顔と感謝の言葉を耳にして自分の進むべき道を再確認し

 

 

「施術を通して困ってる人、悩んでる人の力になりたい!」

 

 

と強く感じるようになりました。

この治療院で2年間、施術補助や身内の施術を通して現場でいろいろなことを学ばせていただきました。

 

 

しかしここで思わぬ出来事が・・・。

 

 

当時鍼灸学校に入学するのに必要と聞いていた入学金が、聞かされていた以上の額が必要と知らされたんです。

 

 

当時、経済的に苦しかったので急にそんなお金を用意できるわけもなく、親とも何度も話あって、悩みに悩んで施術家の道を諦めることを選びました。

その後、薬業専門学校に入学。奈良のドラッグストアに就職し 店長やマネージャーを歴任。毎日がむしゃらに働いていました。

 

 

ただ日々時間に追われ、10時間以上のデスクワーク、店舗と上層部の板ばさみ、忙しいときには帰宅から出社まで3時間なんてこともあり、もちろんストレスMAX!!

 

 

仕事自体は好きでしたし、充実もしていましたが心身ともにきつかったですね。その会社で仕事を続けていくことにも限界を感じ始め、30歳も目前で、

 

 

「何かを始めるなら今しかない!あの笑顔がまた見たい・・・」

 

 

と、もう一度施術家の道を志す決意をしました。思い立ったら即行動!会社に条件付で許可を取り30歳の年に会社員&専門学校生という新生活をスタートさせました。

実は私が結婚したのは専門学校に入学した年の7月。振り返るとムチャをしてるなぁって自分でも驚きです。

 

 

しかしこれには理由がありました。

当時付き合って間もない彼女(現奥さん)は職場が同じでいつも一緒に仕事をしていました。

 

 

ある日彼女の携帯に一通のメールが・・・。

母親からのガンの告白でした。

 

 

余命1年・・・。

 

 

心が不安定ななか、仕事をする彼女を見ていて

「彼女をひとりにしたくない。俺が守ってやりたい。支えてやりたい。」

と結婚を決意。

 

 

お互いに母が元気なうちに結婚式を挙げたいという思いがあり、入学した翌5月に婚約し、2ヶ月後には結婚式を挙げるという強行スケジュールを組みました。

 

 

残念ながら結婚式の頃にはすでに母は参列できる状態ではなく、一刻の猶予もないため父も結婚式に参列しませんでした。

 

 

でも母に報告をしたくて、病院に許可をいただき挙式直後にドレス姿で病院へ直行。

 

 

「結婚式したよ。

 幸せになるからね!」

 

 

って伝えることができました。

 

 

このときのことは今も鮮明に覚えています。

悲しい出来事でしたが振り返れば、自分たちの言葉で“自分たちの幸せ”を報告できた素敵な思い出です。

 

 

そして式の2日後に他界。

 

 

この頃私は30歳、妻は34歳。

2人ともこどもは早く欲しかったので、「早く授かってお母さんに報告しよう♪」と前向きに進みはじめました。

 

 

しかし告知から覚悟はしていたものの、早すぎる母の死はそう簡単に受け入れられるものではありませんでした。

 

 

妻の情緒不安定な状態が続き、タイミングを取ってもなかなか妊娠に至らない日々が続いたのです。

すぐにできるだろうと考えていたのもあり、期待と絶望を毎月のように繰り返しました。

 

 

生理が来た夜は涙を流し、自分を責め、不安ばかりを口にする妻を間近でみてきました。

 

 

最初は「大丈夫!次頑張ろう」って声をかけていましたが、そんなことを繰り返す中で、何と声をかけていいのかわからず、ただ一緒にいてあげることしか出来ませんでした。

 

 

少しでも不安材料をなくすため病院へも行き検査もしましたが、夫婦とも問題はありませんでした。

 

 

「このまま授かることができないんじゃないか?」

 

 

「病院で診察を受けて、言われるがままにタイミングを取って、痛い注射もしているのに…」

 

 

「このまま通院を続けて妊娠できるの?」

 

 

「年齢的にもう無理かも・・」

 

 

「どうしたら妊娠できるのかわからない・・」

 

 

口から出てくるのはこんな言葉ばかりでした。日が経つにつれこの先どうなるのか不安も増しましたが、でも選択肢がなく通院を続けていました。

 

 

そんなある日妻が

「何となく今日な気がする・・・」

というのです。

 

 

特にその感覚に根拠もなく、

ただそう感じるという妻の言葉を信じた結果、妊娠できたのです。

 

 

それは病院でタイミングを見てもらう予定日の2日前のことでした。

 

我が家の場合は、運よく1年数ヶ月で妊娠に至りましたが、この期間は実際より何倍も長く感じました。いろんな不安やストレスを感じながら日々すごしていたからだと思います。

 

 

私たち夫婦が不妊で悩んだ時間は1年数ヶ月と、他の方に比べると短いかも知れません。

 

 

もっと苦労して、時間とお金を費やしても結果がでずに苦しんでいる方もいると思います。

 

 

逆にほんの数ヶ月でも自分を責め、自己嫌悪に陥っている方もおられるかもしれません。

 

 

そんなあなたの気持ちを「よくわかります」なんて軽々しくは言えません。

 

 

でも、私にもできることがあります!

 

 

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★あなたの想いを受けとめ、

 悩みや不安、苦しみに寄り添います!

 

 

★施術はもちろん、

 対話や生活習慣のアドバイスを通して

 あなたを支えます!

 

 

★あなたが心から望む未来を

 一緒に描きます!

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これが私の妊活サポートです。

 

 そして今も(一社)日本妊活協会に所属し、子宝整体スクールの上級講師として妊活サポートをする仲間の育成とともに、知識、スキルを学び続けています。

 

 それは、妊活を通して

 

「自分として生まれてきてよかった」

と好きな自分で生きる人をひとりでも増やしたいからです

 

 

妊活で悩んでいる方の多くは、自分を責めたり、誰かを責めたり、くり返される結果に勇気をくじかれている方がたくさんいます。

 

 

本当はもっと素敵な笑顔で、

 

もっと幸せを感じて、

 

毎日を楽しく過ごす、あなたなのに。

 

 

それを忘れてしまっているのは、すごく残念なことだと思います。

 

 

妊活サポートを通して、あなたが自分自身を取り戻し、最高の未来への一歩を踏み出すことができるなら、こんない嬉しいことはありません。

 

 

あなたらしく、ありのままの姿で歩む、幸せな妊活ライフを心から応援しています。

 

 

 

奈良めばえ整体院

院長 尾倉 弘真